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No.28 「ウマーゼン、 ウマーゴ」 の楽しみ

新刊の 『北前の記憶』 は港の古老たちの聞き書きだが、 中にこんな話が出てくる。
「家の爺さんな弘化四年の生まれ。 寺子屋行ったがだと。 新聞でも《マーゼン、 マーゴ》いうて読んどんが。《さ、 何いうて読んどんがい》見ると、 午前・午後だちゃ。 午の字をウマて習ったがやちゃ。《ウマーゼン・ウマーゴ》言うて読んどるもんだ」
大正12年に嫁いで来た女性の話である。 私は思わず吹き出したが、 いかにも昔の話という感がする。 新聞を声に出して読むお爺さんのことも、 書き言葉なんか要らないほとんど話し言葉だけで済んでいた曾ての社会の面影を見るようで面白い。
その話し言葉を何とか活字に直そうと本書は試みている。 私もテープ起こしをしてみて、 驚いた。 例えば先の女性の 「さ、 何いうて読んどんがい」 だって、 実際の音は 「さ、 なんいうてよんどんがい」 である。《読む》というのは意味を掬い取ることであって、 平仮名を音楽のように読み上げることではないから難儀である。 どこか漢字に換えねばならない。《なん》を《何》に換え《読ん》にしてやっと読めるようになる不思議。 方言の部分はほとんど漢字に換えられない。 カッコや句点を多用していく。
テープを何回も後戻りさせながら、 ワープロに向かっていた私は途中で気づいた。 音の小さな塊それぞれを文法に沿うよう配列し直そうとしている自分に。《読んどんがい》は《読んでおるがかい》の略だろうから、 せめて《読んどるがい》と直そうかという具合。 何時か、 私は、 話し言葉は書き言葉の崩れたものと思い込んでいた。 話し言葉が先で、 書き言葉は後で生まれたことを頭では知っているのに。
結局、 話し言葉を書き言葉にそっくり置き換えることは不可能と悟る。 それぞれは全く別の生き物なのである。 話し言葉はそれだけで詩である。 音楽そのものである。 また、 書き言葉は織物のように意味の世界を構築してくれる。 書き言葉が音楽性を回復することがあるとすれば、 先の 「ウマーゼン、 ウマーゴ」 のように読み違いをした時なのだ。 悪戦苦闘して成った本書を是非読んでみていただきたい。 貴方はそこに新しい《文学》の成立とでも言えそうな言葉の配列を発見されるだろう。 百人が百の読みをするだろう。 そんな本の出現に乾杯していただければ幸いである。 読み違いは幸運をもたらすこともある。 人はそれぞれに言葉を持って楽しむ権利を持つ…。 (1999年6月10日 勝山敏一)