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梓会出版文化賞特別賞 真実を必要とする人へ

 出版の仕事を地方でさせてもらうには代償を払わねばと、ずっと思ってきました。周縁に追いやられている問題を 取り上げることです。東京ならいざ知らず、地方の読者数は出版社が何社も並び立てるほど多くありません。誰かが出版社の名乗りをあげれば誰かの可能性が消 えることになります。売れそうになくても、取り上げねばならない問題は名乗りをあげた者が責任を持たねばならない、そういう思いです。
地方出版は昭和四十年代に全国各地でいっせいに起こりました。私のように昭和五十年代に始めたものは第二世代です。私から見て第一世代の出版はやりたい 放題に見えました。先駆けたものはその僥倖に自覚的でなければならないのに、と少し批判的になっていました。第二世代だから持った視点かもしれません。ス タートして幾人かの方から「私も出版の仕事をしたかった。だが、あなたが始めてしまったから…」と聞かされました。これでいいのか、いつも私はその方々に 照らされているような思いでいます。
スタートして五年後(一九八八年)に発刊の『村と戦争』が最初に代償を支払えた本でしたでしょうか。兵事係をしていた方が、敗戦時の焼却命令に背いて赤 紙など資料の数々を床下に隠匿、公表されたのは三十年もすぎてでした。誰にも言わずたった一人、資料を守れたのは、ここに戦争の真実があるという思いが消 えなかったから、そう仰いました。出征していった村人の魂がこもっている記録、何十種類ものこれら書類に万分の一でもウソ偽りがあってはいけない、兵事係 も必死の思いで個人情報を集め記録したのだという、そういう真実です。血や涙と共にあった戦争の記憶が、やがて歳月とともに風化していくのを見、どのよう に資料を白日の下に晒せばいいのか、その方は苦悶されたようです。まっすぐに受け止めてくれる人もいようが、有名になりたいだけなのだと曲解する人もいる だろうという苦悶。
彼の思いを吐露してもらい、著名な歴史学者にお願いして作った本ですが、すぐに私の苦悶も始まりました。地元では有名なある右翼の方から詰問状がきたの です。赤紙作成に際して情実が存在したかのように(帯やチラシの惹句)本を売り出し、あの聖なる戦争をお前は汚すのか、という内容。どんな真実と思われる ことも、それは万人にとって真実なのではないと知らされました。自分に幾分の思い上がりのあったことを悟りました。
すぐには気づきませんでしたが、おそらくこれが切っ掛けでしたでしょう。どんな真実も、たくさんの人に伝わればいいというものでないのではないか。ある 面からは大きく、ある面からは細々(こまごま)として見える真実というもの、本当にそれを必要とするのは世界中でも二、三人なのではないか。その人に本は 届けばいい。そうやって地域に根ざそうとしていればやがて多様な真実がくっきりと見えてくるだろう、そう思うようになったのです。
こんな周縁にいる本屋を取り上げられた審査員の方々にお礼を申し上げます。心細い道を歩んできたものにとりまして、強い支えとなるものです。最後になり ましたが、ここまで私どもを育ててくださった読者の皆様、郷土コーナーを設けて支援した下さった書店の皆様、全国の読者へ取り次いでくださった地方小出版 流通センターの皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 

桂書房代表 勝山敏一

 

出版ダイジェスト(2008年12月21日)掲載  「第24回梓会出版文化賞を受賞して」より