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No.17 「言いにくい事を言う」 ことで―

「言いにくい事を、 言いにくい人に向って言いにくい時に言う」 ことで、 民主主義というものはやっと息をつないでゆく―この名言を吐いたのは丹波の名もない農婦たちだという。
難しいことである。 この世で後悔することの半分は 「言えなかった」 という事から来ている。
私も数え切れないほど臍 (ほぞ) を咬んで来た。 中にはそのお陰で今でも償い続けているという臍まである。
30代半ばだった。 勤めて3年目の富山市の巧玄出版という地方出版の先駆け的会社で、 訳も分からず役員にさせられた。 企画に責任を持ってもらうためだという社長の言い草だった。
出版の仕事は楽しかったし、 ほとんど毎日、 残業が深夜に及ぶことも苦ではなかった。 徹夜することも平気だった。 編集とはこんなものだと思っていた。
役員になって直ぐ社長から銀行融資の保証人を求められた。 心配ない、 形だけだと言われて身震いしながら応じた。 半年経ってまた求められた。 保証人というのは妙なもので、 一度なると次は断れない。 それからも何度か求められ、 餅でも搗くようにハンコを押していった。
途中 「おかしいぞ」 と思ったのはもちろんだ。 社長に尋ねると 「この融資がないと次の本が作れない」 という答えだ。 編集者がこの答えに逆らえるはずがない。
それから半年して会社は倒産した。 アッと叫んだ。 危機的状況とは聞いていたが、 まさかであった。
私はアホだった。 経理の内容を聞いたこともなく、 資金繰りのあまりのひどさに因って来る経緯も聞いたことがなかった。
絶対権力者の社長に、 言いにくいそのことをなぜ聞かなかったか。 危機的状況のその時になぜ聞かなかったか。
役員は形だけで私はあくまで従業員だ。 その思い込みが全てを律していた。
最も大事なのは 「言いにくい時に」 言うことだと、 私は身を切るような体験で知ったのだ。 登記簿上は無一文の社長は何の責めも果たさなかったが、 私は今もその負債を払い切れずに苦しんでいる。
上司や組織の飽くなき利益追求に逆らえぬ企業戦士たちが今でもいることは、 バブルがはじけて分かったことの一つだ。 会社がしていることと自分の生き方は違って当然、 異議申し立てなんて論外だ―そう嘯 (うそぶ) いてはいけない。
会社に倫理や公正を求める企業内民主主義がどんなに大切か、 自分や他人の血を見るまで分からないというのは、 もはや犯罪に近い事だと知るべきである。 (1992年11月20日 勝山敏一)