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No.22 伝達こそ知そのもの……

9時間半という超長編映画 『ショアー』 を友人たちと自主上映して観た。 生き残りのユダヤ人、 ナチスのSS隊員や行政官たち、 そして傍観者だったポーランドの農民たち―大きく分けて三者の証言を紬のように織り重ねて、 500万人といわれるユダヤ人絶滅の様子を明らかにしていく映画である。
観客の方からアンケートをいただいたが、 その中の一つに、 チクロンガスを投入された後のガス室の中の証言を聞き、 映画の意味を印象的にとらえた40代の女性がいた。 「ガス室の中で人々は少しでも良い空気を吸おうと上へ昇ろうとあがいたと言う。 私が放り込まれたら、 やっぱり小さな子供を踏み付けても這い上がろうとしただろう。 ポーランドの農民だったら、 豚のように人が殺されると分かってて、 それが日常の風景になることを受け入れただろう。 そして 『最終解決』 に向けて整然と仕事を遂行した役人の一人だったら、 命令された仕事に勤勉に励むだろう。 人間って度し難い。 他人を踏み付け、 無関心になることができ、 人を豚と思い込むこともできる。 私は、 そんな一人なんだ、 そう思っていた方が大きな間違いは犯さないで済むかもしれない。 だからこそ、 最後と知った時に沸き上がった歌声を聞こう、 耳を澄ませて。 …」
悲痛な人間認識でありながら、 なお人間存在の高みを信じようとしているように見える。 過ちを犯し得る存在として人間を認識する―そこからこそ私たちは、 例えば、 ある人の善い人生についての考えが、 別の人の考えより優れているからという理由で、 国家はその人の自由を制限してはならない―という正義の原理を生んだのだから…。
さて、 映画は過去の映像や音楽は一切使わず、 証言者と現在の風景だけで編集されているのだが、 細分すれば数百になろう証言の組み合わせは、 驚くほど当時の様子を鮮明に眼前に描き出し、 ある流れ毎の部分テーマの喚起にも充分な成功を収めていた。 しかも全体の行く末がカタルシスに向かわず、 終りから始まりに帰るような円環的な構造になっていることに興奮させられた。
ランズマン監督は 「なぜ、 ユダヤ人は殺されたのか―という問いを理解しないこと」 これが映画を練り上げる上での掟だったと語っている。 「理解しようという試みには限りなく猥褻なところが出てくる」 と。
理解しようとすれば理解できることにしか目が向かないだろう、 過去の映像を含めて。 伝達に先立つような知的理解というものは無いのであって、 伝達こそ知そのものなのだ―という彼のメッセージは、 出版人の一人としての私に、 根本的な表現の倫理を問うものであった。 (1995年10月20日 勝山敏一)