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No.23 私は、 「私」 のために言うしかない…

富山県立図書館のカウンター付近に掲げられていた 「図書館の自由宣言」 板が、 いつの間にか外されていた。 三カ条で 「すべての検閲に反対する」 という項も記されていた。
昨年10月頃から同図書館は、 未曾有の事態を起こしていた。 県立近代美術館が発行したある図録の所有権を放棄したのである。 続いて、 小社の 『公立美術館と天皇表現』 が購入を拒否された。 外にも二冊が同じ憂き目に遭った。 それらの図書を寄贈しようとした市民がいたが、 受け取りは拒否された。 さらにこれらの図書の他館からの借り入れサービスも行わないと図書館は宣言。 「これは検閲ではないか!」 という悲痛な声が市民から沸き起こり、 私も切られるような痛みを覚えた。
この事態は、 3年前に美術館がある作品を売却してしまったことと連動している。 その作品は10年前に購入されたのだが、 直後に県議会で 「不快だ」 と言われ、 非公開になっていた。 売却は不当だとする市民から住民訴訟が起きている。 核心は 「検閲」 とは何かである。 憲法は 「検閲はこれをしてはならない」 と記すが、 どんな行為かは説明しない。 戦前の政府や戦後の米軍が行ったような、 公権力が民間の表現に介入する行為を指すのなら、 では教科書検定はどうなのか。 「お前のため」 と言って子に介入したがる親のように、 公権力は市民に介入したがる。 行政の裁量権は、 いつも検閲とスレスレの線上で振るわれる。 憲法はこのことを肝に銘じるためなのだろうか。
今回の図書館の行為はどうか。 図録の放出は、 自分の所有物を自分で処分したのだから、 一見、 検閲のように見えない。 美術館が問題作品を匿名の誰かに売却したのも同じ。 どちらの館も多様な表現を提供するという大義があって購入するのだから、 永久所有を当然とする制度である。 それなのに放出すれば、 市民からは館がある思想を特別に排除したように見える。 これは検閲ではないのか。 購入や寄贈の拒否も、 類似本があるなど合理的な理由なしに拒否するのは検閲ではないのか。 まして他館からの借り入れまで拒否するのは…。 いずれも館長の判断だという。
県立図書館には日頃お世話になり、 司書の方々もよく存じ上げている。 副館長とは特に親しくさせていただいていた。 異議を申し立てれば、 その人とまずくなる。 傷つけさえするだろう。 「言いにくいことを、 言いにくい人に、 言いにくい時に言うことで、 民主主義というものはやっと息をつないでいく」 という例言を本欄で紹介したのは私だが、 民主主義なんかのためにその人とまずくなっていいのか…。 いや、 本当に民主主義の 「ため」 なのか。 私は、 どこかを 「切られた」 ように感じた 「私」 のために言うしかないのでは…。
《館長さん、 検閲は止めて!》 (1996年6月20日 勝山敏一)