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No.40 クガイ知らず

母と祖母は、 小学生の私の前でよく喧嘩をした。 どちらも夫を亡くし暮らしを二人で支えていたから、 出費をめぐる争いが多い。 二人は実は姉妹。 母は子持たずの姉に請われて養女に入った。 夫の自殺後、 30前で土方稼ぎに出て母は気を荒くした。 病院の付添い婦に出ていた祖母はいつも言い負かされ、 腕力で負けていた。 私はその祖母っ子だった。 手をあげる母の前に 「やめて」 と飛び出して何度も祖母をかばった。
「あんたはクガイ知らずや!」
我が子に制されて母は悔しそうに言うと、 くるりと背を向けた。 クガイは子供に理解の出来ない言葉だった。 《公界》と書くとは網野善彦氏の 『無縁・公界・楽』 を読むまでしらなかった。 辞書には 「世間の付き合い」 とあった。 僕の集金袋に入れた百円札を、 香典に不足した母が再び引き抜くことがある。 祖母がそれを見咎めた。 《一週間も遅れとる集金だ。 この子が可哀想やないけ》でも母は、 子から奪うようにして香典に包まねばならなかった。 母の心をあの時の私は知らなかった。
身を削るような痛みに母が堪えたのは、 皆がそれに堪えているということに裏打ちされていたはずだ。 誰かだけが時に手ひどくやられるというのでなく、 皆が等しくある痛みを堪えるとなっているからこそ、 シガラミの交錯する共同体の中で時に笑い合って生きられるような気がする。 他人とつながりを得、 生き易くするために公界という考え方がある、 母はそう悟っていたに違いない。
その母は祖母とはずっと仲悪く、 和解しないまま逝った。 私は二人の間に何時か子供の頃のように飛び込めなくなっていた。 いまこんな本屋をしているのは、 二人の残した公界を支払うためなのかしれない。 (2005年6月10日 勝山敏一)