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No.53 魚が小躍りするような泥の記憶

水田が不思議な仕掛けをもつことに初めて気づいたのは、一九六八年ころ、シロかきを耕耘機で始めた時だ。畦まで来て回転刃をもちあげUターンしようと大股に開いて踏んばったら、右足が田の中でズルーッと滑った。耕耘機にしがみつき、50センチほど滑った寸時、踏んばる指の間をニュルニュルーッと泥が抜け通った。
「うひゃーッ!」
軟らかいモノが足指を愛撫するのを感じながら、あれっと思った。田の底が浅すぎないか。足裏で泥中を探ると15センチほど下に滑らかな底面が広がっている。荒起こしで20センチは耕したから少し浅い田底はいまできたもの。どのようにして? 深く耕そうと努める私に、この5センチ差は毎年、水田のマジックとして残った。
耕耘機になると一日の作業量を多めに当て込み、かんたんに一休みできなくなる。しばしば手を止め、田の中で立ちつくして遠景に眼をやるのが私のそれまでの倣いで、陽光きらめく日曜日の野良に数えるほどしか農夫が出ていないことを確かめて自分の孤独を深めるのにもっぱら費やしたにせよ、それはどんなに人間的な時間であったことか。自分の人生を選ぼうとし、喜びや悲しみといった感情さえその性質を判別していかねばと思っていた25歳の私は、動力機械があまりにやすやすと人を《しもべ》と化してしまうことにひしがれたから、足の甲にあふれた泥の温かさは望外の《人間的》だった。
つい最近、ある農業史の本に「シロかきすると泥中の鉄分が水と化学反応して沈殿、硬い皮膜を形成して田の水漏れも防ぐ」とあるのを見つけた。鉄分は山の木々に養われた用水がもたらしているという。水田がこれほど大きなシステム装置であると知っていたら私は「農」から離れはしなかったろう。
撹拌したものは何かをきっと沈殿させる。この世の混沌を人はよくかき回したろうか。魚が小躍りするような泥の記憶は遠くなったが、かき回すのは今も孤独な作業のはずである。 (勝山)
No.54