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No.52 モノをあげたりもらったり

昭和二十年代、農家の我が家の戸口にはよく乞食が立った。留守番少年の私は親のしていたとおり、米びつから生米を一合ほどすくった五合枡を物乞いの広げる頭陀袋の中に傾けるのを常としたが、ある時、よろよろと足をひきずる乞食が現れ、お腹が空いている様子なので、ご飯を碗によそい沢庵をつけて出したことがある。もちろん箸を添えた。ガツガツと目前で食べると思いきや、彼はおしいただいて飯盒にそれを丸ごとあけ、碗を返すと、お辞儀して去った。七、八歳の少年を少し驚かす、それは飢え人の尊厳であったろう。後を追いかけ、食べる姿を見届けたいのをグッとこらえたのはそのことに感応したからと思う。話を聞いた祖母が「なんまんだぶつ」と瞑目したのを思い出す。彼が太平洋戦争で傷ついた元兵士だったこともあるが、飢えた人がこの世にいることを忘れてならぬといった瞑目のようだった。
飢えといえば一九一八年の米騒動。富山の漁師の妻たちは米屋に向かい「おらっちゃ安い米を買いたい。この港の米をよそへやらんといてくたはれ」と叫んだという。ただの安売り願いと違う。自分には高騰する前の価格で買う権利があるというような強い正当感をもつもので、十八世紀イギリスの食糧騒動(ここも女性主導!)に見られた「モラル・エコノミー」とよばれるものと同じだろう。あらゆるモノが商品になるけれど、命をつなぐ物は特別、食べ物から過大な利潤を得てはならぬというモラル。飢えの迫る妻たちが、ただにしろといいたいところ、安値米が欲しいだけだとやせ我慢するその倫理的態度を支えるものだ。
乞食は村に現れなくなった。米騒動も起きなくなった。貧しい人がお米をただでもらうことをなぜ嫌がるのか、分からず仕舞い。あのモラルは本当に過去にしかないのだろうか。お金を介さずに、モノの直接のあげたりもらったりを少しずつでも増やしていけば、隠れている人の心は見えてきて、温かになれる気がするのだが…。(勝山)