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No.58 うしろ指をさいておわらやる

 見出しは狂言「鎌腹」の詞章の一部。外泊ばかりして家のことは何一つしない夫に怒って妻が「打殺いてわらはも死にまする」と迫り、しまいに夫が鎌で腹を切ってみせようとする。この夫婦のケンカはしょっちゅうなので他郷の衆さえ笑いやるものという一節だが、「お笑いやる」を「おわらやる」とつづめるのが興味深い。
 八尾おわら風の盆の「おわら」は「お笑い」からきたという説がある。筆者はイが省かれる用語例を知らないまま、練り回りのテーマが笑いだったことを根拠に小社刊『おわらの記憶』でそれを支持したので、狂言にその例があることに合点がいく。
 おわら風の盆は元禄15年(1702)、ある契機で町人たちが「面白く」練り回ったのが始まり。出し物は、後の史料から推測して京大坂の狂言や歌舞演劇のまね事も含まれたことは間違いない。
 もの悲しい胡弓の音、オワラ節が独唱される今の町流しを見る人に意外だろうが、江戸期から昭和初期までオワラは軽快な曲にのり陽気な詞を群唱するものだった。胡弓は時に猫や九官鳥の鳴き声をまねて子どもたちに歓声をあげさせる楽器であった。
 笑いには格別の意味があった。狂言が能と能の間に演じられる訳について、諏訪春雄『能・狂言の誕生』はいう。アマテラスが岩戸から出たのは、アメノウズメノミコトの卑猥な踊りを見て神々がたてた笑い声のせいだった、笑いには力がある、一つの能が終わればその秩序を更新、新しい神霊を迎えるために狂言が間におかれる―。
 西洋は人がこけるのを見る時のように自分の優越を確かめる笑いだが、日本は相手との関係を修復しようと懸命に試みる笑わせが多い―と同書はいう。先の「鎌腹」でも、鎌を立てて置いてたったったっと走りかかりもんどり打って果てるという奇想天外な死に方にまで発展する。腹を抱えてそれを見る観客は自分の優越でなく、妻と仲直りをめざす夫の困難に同情、新世界の展開を笑う。日本の連帯笑いは独特である。
 悲しみは個人的なものだが、笑いは普遍的。笑いは人の心を広げる―村上春樹の言葉は、でもきっと世界に届く。(勝山)