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No.69 ただいま下値なる米をあい調え、

 見出しは一七一〇年十一月、越中の滑川浦役人が上司に出した願書の一節。日用人たちの飯米を今の安値のうちに購入して高値時に困らないよう管理したいという。彼らは蔵から移出船の待つ砂浜まで米俵(七五キロ)を担ぐ日雇い仲仕たちで、翌春には飯米を切らして高値で困窮するのが常、数十人に上る彼らの飯米をまとめ買いし蔵に保管、春以降に少しずつ各人の都合に応じて渡していく。米の購入金も賃金から一部を積み立て充てる。米の共同購入だけではない、生活協同組合の誕生と言えるものだが、残念ながら管理主体は日雇い人たち自身ではなく、浦役人や米商たち。主体が移動したには理由がある〈拙著『元禄のグラミン銀行』より〉。

 この夏、移出船の者たちが砂浜で二重俵にし直しているのを見て、担ぎ人たちは申し出てその仕事を受けた、日雇いグループをつくって「数年のうち雇われ申す者ども残らず日用人頭になり」、つまり生産協同組合を結成していたと推察される彼らは、その報酬も一俵二七文〈米担ぎ賃の二倍以上か〉と自ら決めて浦役人に届け出たところ、米商たちは日雇い人がコントロール下から外れることを恐れ、見出しのような支援を買って出て支配を続けようとした—そう推定される。組合員らは主体としての自由を希求したであろうが、雇い主の支援を拒むことは難しかったであろう。手練れでないとできない二重俵装だが、未熟な者や女性たちも作業の一員に組み込んで支援対象として米商に認めさせる—彼らはそれで満足し、主体を譲ったという体である。数十人のコメ消費に対応していく事務経費も報酬から除けた積み金から出費される。明治期になっても維持され昭和期まで続いたこの仕法について横山源之助は「世人の注意を逸する社会の一事実」と題し、驚きをもってレポートしている。

 協同組合的なるものが生まれた経緯を知ると、国などの権力によらないで身の回りを統治しようとする人間の機転は時代を問わないことが分かる。日雇い人たちが誰もトップを独占しない協働組織を二百年も持続させたのを見れば、これらを無数に生み出して富裕者が支援する連帯経済をもって資本主義社会を包囲していけば、別の未来が見えてこないか。富裕者の支援? 民主主義にも手詰まりな今、問題はそれだ。