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No.51 悲しみはけっして人に見せまい

八三歳の酒井キミ子さんの絵文集『戦争していた国のおらが里』には、克明な二八〇枚の「農」の絵が載る。全国紙は世界記憶遺産に指定された筑豊炭坑の絵のようだと紹介した。絵につくコメントも、ああ、そうであったと感嘆するのが多い。たとえば、夫の戦死公報を手に妻が座り込み、子らの前で泣いている絵には「どんなに悲しくても、人前で涙をこぼすのは恥ずかしいこと…」とついている。
栄誉とされた戦死に際してだから恥ずかしいのではない。敗戦五年後のこと、私の父は説明しにくい事情を抱えてダム湖へ入水という不名誉な死を選んだが、その葬儀でも母は泣くことをしなかった。人前で涙は見せぬというマナーはおそらく江戸期にさかのぼるのだろう。明治二二年(一八八九)に訪日した英人記者アーノルドは明言している。日本人は心に悲嘆を抱いているのをけっして見せまいとする習慣、とりわけ自分の悲しみによって人を悲しませることをすまいとする習慣をもつ。生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意がいきわたる、と。自分も楽しみ人も楽しませようとすることにこの上なく熱心で、茶目っ気が日本人に愛されてきた所以か。
父の死から五十年たって母は逝ったが、その喪主挨拶で私は泣いてしまった。マナーの存在は知っていたのに、自分を抑えられなかった。できるかぎり自己を解放するようにという近代の空気を全身で吸ってきたからだろう。ここまで解放したのだから、もういいではないかという気がする。こんどは、できるかぎり己を抑えてつつましく、矯めをつくって人前では泣かず、死について突き詰めては考えない―そういうふうに生きられないだろうか。そうやっていけば「死を見ること帰するがごとき」という最期は来る…。
酒井さんの絵文集にも茶目っ気あふれるコメントがちりばめられる。矯められた心がちょびっとほころんだ跡に見えて、笑いながら私は泣く。
(2012年11月1日 勝山敏一)