水田が不思議な仕掛けをもつことに初めて気づいたのは、一九六八年ころ、シロかきを耕耘機で始めた時だ。畦まで来て回転刃をもちあげUターンしようと大股に開いて踏んばったら、右足が田の中でズルーッと滑った。耕耘機にしがみつき、5…
昭和二十年代、農家の我が家の戸口にはよく乞食が立った。留守番少年の私は親のしていたとおり、米びつから生米を一合ほどすくった五合枡を物乞いの広げる頭陀袋の中に傾けるのを常としたが、ある時、よろよろと足をひきずる乞食が現れ、…
八三歳の酒井キミ子さんの絵文集『戦争していた国のおらが里』には、克明な二八〇枚の「農」の絵が載る。全国紙は世界記憶遺産に指定された筑豊炭坑の絵のようだと紹介した。絵につくコメントも、ああ、そうであったと感嘆するのが多い。…
大干ばつに襲われたアフガンの人々がある日、村を捨て食を求めて徘徊を始めるのを目撃された医師の中村哲さんの言葉「飢えた人は寡黙だけれど、決して絶望的な眼はしていない」。 飢え人が都市へ向かって徘徊するのは、江戸期の富山町で…
大津波の引いた一望の荒野をテレビ画面に見つめたあと、ゆくりなく浮かんで胸に結ばれたのが見出しの語。 「この世で大事なのは言葉なんかじゃない。その言葉をいわせるものよ。太陽の光り、土のにおい、風の音、すばらしいわ」と続く、…