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過去の記事: 2023.1月

佐伯哲也のお城てくてく物語 第13回

カテゴリー:お城てくてく物語

佐伯哲也の お城てくてく物語

 

 

第13回 落城後の捕虜の処刑

 戦国時代と言えば、豊臣秀吉の出世街道のように、明るく、希望に満ち溢れていた時代と思われている。確かにその一面も存在するが、人命が粗末に扱われ、残虐な行為が日常的に実施されていた。捕虜の処刑もそれを雄弁に物語っている。
 捕虜の処刑方法が判明するのが、天正9年(1581)前田利家の棚木城(石川県鳳珠郡能登町)攻めである。海に突き出た棚木城上杉方が籠城する棚木城を同年5月22日落城させた利家は、生け捕った捕虜を一人も残さず処刑している。その処刑方法とは、七尾城下の赤坂で火炙りにするのである。見せしめのため城下町の外れで処刑し、それに見物人が群がる、といったお決まりのワンシーンが目に浮かぶ。さらに利家は釜炒りの刑も命じている。真っ赤に焼けた大釜に、生きたまま人を入れるのである。地獄絵の光景が繰り広げられたことであろう。このとき、釜煎り用の大釜が無かったらしく、先に命じた鉄砲製作を中断しても、大釜鋳造を命じている。そこには極刑を実行するにあたり、微塵の迷いも見せない利家の姿を見ることができる。
 もっとも利家にも事情があり、中途半端な処刑方法が織田信長の耳に入ったら、国主としての責任が問われると嘆いている。利家としても辛い決断だったのかもしれない。そこには豊臣家五大老時代の温厚篤実利家ではなく、常に信長の機嫌を損ねまいとする、意外な利家の姿を目にすることができる。利家は天正4年(1576)の小丸城(福井県越前市)主時代に、越前一向一揆に対して同様の処刑を行っている。どうやら火炙り・釜煎りの刑は珍しくなかったようである。
運よく処刑されなかった捕虜にも、悲惨な末路が待っていた。永禄9年(1566)上杉謙信の猛攻により落城した小田城(茨城県)では、生け捕った捕虜一人につき20~30銭(約二千~三千円)で人身売買が行われていた。これは謙信も認めていたので、一般的な行為だったのであろう。捕虜は人として扱われず、牛馬のように酷使され、弊履のように捨てられたことであろう。
 これが戦国時代の知られざる実態である。一旦合戦が始まれば人権など無きに等しく、人は鬼と化し、残虐な行為を平気で行った。だから戦争は絶対に行ってはならないのである。戦争に正義の戦争など存在しない。

 

 

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