富山の出版社 本づくりなら 桂書房

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古代船・葦船復元

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古代の葦船を復元して浮かべてみようという企画が南砺市を中心に活動する「泉の杜(いずみのもり)100年プロジェクト」を中心に進められています。
古代の船は葦船であったとされ、指導するのは、探検家で草船航海士。そして草船(葦船)職人である石川仁さん。経歴はオフィシャルサイトでは「サハラ砂漠2700kmを単独で歩く旅など 世界各地を旅し、エクスペディションマタランギに参加30mの葦船で8000kmの外洋航海 を経験の後、日本初の葦船外洋航海を行う。」とあります。桂書房はこの企画の一部始終を取材して出版することにしました。
泉の杜_葦船

いとこ煮

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今の時期、浄土真宗が盛んな北陸では、各寺々で報恩講が営まれている。
南砺市の、とある寺院も報恩講が営まれ、お寺でお斎を頂いた。
そこで饗されたお汁には小豆が入っており野菜もたっぷり。
地元の方から、これは「いとこ煮」だと教えられた。

門徒ではないので恐縮したが、
凄く美味しいお汁、初めて食べた!!

いとこ煮とは何かとウイキペディアで調べたら、
「材料を煮えにくいものから追々入れていくことから、「おいおい」を「甥甥」すなわちいとこにかけたものが語源の一つとされている。」とある。
また「小豆などを煮た煮物料理で、各地に伝わる郷土料理の一つ。北陸地方(新潟県・富山県・石川県)のもの、奈良県のもの、および山口県萩市周辺に伝わるものが知られている。」ともある。
いとこ煮は南砺市近郊の名物らしい。
しかし作るには手間が掛かるとの事。
近年、食事は多様化している。
地域にはそれぞれに郷土料理がある。
弊社でも郷土料理を取り上げてみたいものだと思った。

富山城の本丸御殿

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どうも富山城、本丸御殿の屋根はむくり屋根だったようだ。
むくり屋根とはお椀型の屋根。

ネットで検索すると、
「屋根面が真っ直ぐなものは、直線屋根、反っているものを、そり(てり)屋根、ふくらんだものを、むくり屋根と呼びます。」
とある。
武家の屋敷とは思えない構造。

このむくり屋根は公家文化の流れであるという。
代表的な建築物に桂離宮古書院がある。

では、誰がこのような御殿を建築したのか?
富山城本丸御殿は天保3年(1832)に改築されたとある。
この頃富山藩は財政が火の車だったとある。
累積借財は30万両。百姓一揆も起きている。
しかし嘉永2年(1849年)に前田利保は隠居のため千歳御殿を造営した。
この御殿は能舞台を中心に据えた建物だったのだが本丸御殿と何らかの相関性がないのか?

富山藩を考えると傑出していたのが前田利保。
利保は天保6年に、9代富山藩主、利幹が隠居して家督を継いだ。
風雅な人物で、産物方を設置し藩財政の再建を図るなど活躍した。
また幕府から5万5千両もの供出をもとめられ処々工面し、天保12年の参勤交代を免除してもらうなど外交面でも光るものがある。
士族は極めて貧乏に喘いだが、町人・農民は売薬業で豊かであったように見える。
そのように考えると富山藩の実態を今一つ眺めてみる必要があると思う。

富山市松川 自然・文化体験プロジェクト

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水の都とやま実行委員会が主催した、
「親子で楽しむ自然・文化体験プロジェクト」
が7月30日(土) に松川を中心に開催されました。
「漁業」「食文化」「歴史」「水運」の4つのテーマに分けて講座を開催。
内容は、神通川の漁業文化では富山漁業協同組合による
「投網」や「てんから漁」など昔の漁の様子を学び、
神通川が生んだ食文化では、ます寿し職人と一緒にます寿しの歴史を学びました。
水運のまち富山では松川をクルーズ。
富山城址に潜む歴史は私の担当。
現在の地図上に江戸時代の富山城を仮想して子供達とウオーキング。
そして百万石の格式を誇る富山城の鉄門(くろがねもん)を説明。
鉄門
その鉄門の石垣には清明印である五芒星(ごぼうせい)が彫られています。
この五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符とされています。
当日は天気も良くよく判りました。
子供達にははたしてどう映ったのでしょうか?
清明印A

長谷川トントン

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とある方からお手紙を頂きました。
この方は、幼少の頃(戦時中)父の実家があった富山市柳町に疎開。
しかし戦災があり、また父親も亡くなって柳町の実家の所在地は不明。
小さい頃の思い出として
鮮明に記憶にあるのが「長谷川トントン」という家。
トントンという手作業の音が聞こえていたのでしょうか?
このお宅は富山売薬の内職をされていたようです。
疎開先の手掛かりを探せないかという内容でした。

編集部では、頂いた手紙の内容から父親の実家の所在地を特定し返事を書きました。
感謝の電話を受け恐縮。

富山市は戦前「大富山市」と称され躍進を遂げていました。
桂書房では、往時を出来る限り復刻しようと調査を重ねています。
近刊としては
    「もうひとつのプロジェクト」
    「神通川むかし歩き」
があります。
これからも、こだわりを持って版を重ねていきたいと思っています。