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佐伯哲也のお城てくてく物語 第14回

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佐伯哲也の お城てくてく物語

 

 

第14回 瓦は貴重品

 「瓦礫」という言葉もあるように、屋根を葺く瓦は無価値品のように扱われている。しかし戦国時代の瓦は貴重品だった。特に織田・豊臣政権の城郭では新政権の権力の象徴として瓦は必要不可欠のアイテムだった。
 北陸の在地領主の城郭では瓦の使用は一切認めらない。前述の織豊系城郭でも使用例はほんの僅かである。天正3年(1575)佐々成政が築城した小丸城(福井県)で使用した瓦は、現地生産もされていたが、それでは足りず、明智光秀の居城・坂本城(滋賀県)や細川藤孝の居城・勝龍寺城(京都府)からはるばる運んできたことが判明している。小丸城(福井県)大津から塩津までは琵琶湖の水運を利用できるが、あとは山岳地帯で、木の芽峠の難路もある。織田信長の厳命を厳守するため、汗を流しながら大八車に乗せた瓦を必死で運ぶ大勢の人々の姿が目に浮かぶ。貴重品だった瓦は何度もリサイクルして使用されたのであり、使い捨てではなかったのである。
 富山県の近世城郭である富山城(富山市)は当然瓦を使用していたが、使用されたのは慶長10年(1605)からであり、築城から60年後のことである。
 高岡城(高岡市)で瓦が使用されていたのか詳らかにできない。発掘調査で瓦が出土しなかったことから、仮に使用していたとしても、ごく一部の範囲だったのであろう。築城時(慶長14年)においても瓦の使用はきわめて限定的で、広く一般的に使用されたのは、江戸時代に入ってからであろう。
 北陸で瓦が普及しなかった理由の一つとして、寒冷地・豪雪地帯という気候が災いし、瓦が割れてしまうからと言われている。福井県では、北乃庄城や東郷槙山城(福井市)では石瓦を使用しているが、これも破損防止のためと言われている。丸岡城天守閣は現在は石瓦を使用しているが、当初は杮葺きだったことが判明している。
 築城当初の金沢城では土瓦を使用していた。鉛瓦に変わったのは、あまりにも破損する土瓦が多すぎたからであろう。ちなみにこの鉛瓦、合戦時、弾丸の材料である鉛の備蓄材とも言われていた。しかし弾丸の鉛としては粗悪品で役に立たないそうである。白く輝くため装飾用と、破損防止用として使用されたと考えられる。それもそうであろう、使用されたのは平和な江戸期になってからである。