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安田善次郎(2)

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安田善次郎は幕末の安政5年、20歳で奉公人として江戸に出た。
いくつか奉公先で才能を開花させ、慶応2年26歳で両替商・安田商店を日本橋小舟町に開いた。

善次郎は幼少は岩次郎と称し、若い頃は富山では守田屋の岩公と呼ばれていた。
母親や太田千代といい富山市水橋の出であった。
善次郎は色白で福々しい風格であったという。
人とは争わず、寺子屋にあっては幼い頃から能書で、
手紙を頼まれればスラスラと達筆でしたためた。
明治末年頃、岩次郎の幼なじみが語ったところによれば、
岩次郎は10代の頃にはすでに商才に長けていた。
そして越中の都市間の物品の物価相場を良く調べていた。
具体的な逸話として、岩次郎は友人と干し柿を魚津方面に売りに行ったことがあった。
その際、岩次郎は安価な魚津漆器を見つけた。
これを富山で売れば駄賃が稼げると、これをしこたま買い込んで富山に帰った。
後に友人が聞いたところでは高く販売でき利ザヤを稼げたという。
魚津漆器は魚津腕とも呼ばれ一時期、魚津町の一大産業にまで発展した。
岩次郎は漆器の相場を良く理解していた。
このように、岩次郎は江戸に行く前から商業を営んでいた。
当時富山藩士が内職をするのは当たり前の事で、富山売薬の丸薬を丸めるのは下級武士の仕事だったという。
その後まもなく岩次郎は江戸に旅立った。