富山の出版社 本づくりなら 桂書房

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鼬川を歩く

カテゴリー:その他

明治43年、東京から作家の小西可東が訪れて鼬川を描写している。
その一部を紹介しよう。

可東が桜橋から鼬川の花見橋あたりを訪れた時のこと。
「土蔵の並びには欄干のついた離れらしい座敷が川の上に這い出している。
私は何人がこんな座敷に住むのかと思っていると、
最も手近の最も綺麗な座敷の障子がすうと開いたので、私は息をひそめた。
果然!障子の間から花愧しい一人の美形が現れたのである。」

可東がこの情景を目撃したのは、
枝垂れ柳が生える鼬川の左岸からで、
当時右岸には八清楼(現在のスーパー大阪屋)があった。
左岸には鼬川から水を引いて
「カッチャ」の水車がギィギィと音をあげて廻っていた。
両岸には白壁の土蔵が立ち並び
鼬川には両岸に洗い物をする女性がおり、
16羽ものアヒルが水車に群れていた。

この紀行文読み返し
「鼬川の記憶」を今一度
を旅情的に纏めたいものだと思った。

神通川を歩く

カテゴリー:新刊案内

2016年3月末を目指し『神通川を歩く(仮題)』の発刊準備を進めています。
かつて富山市街には神通川が流れていました。
岩瀬からは帆船が木町の浜まで遡上していました。
そして鮎などの魚の豊富な川でしたが、時は流れ当時の模様は今では記憶の片隅にしか残っていません。
そこで「川漁師」の戦前の貴重な記憶を記録すると同時に、
松川茶屋を基点として富岩運河環水公園まで往復約6km旧神通川の痕跡を訪ね歩きます。松川S

もったいない

カテゴリー:となみ野探検

福光麻布の「いざり機(はた)」復元に向けてプロジェクトが作られ
機織り機を復刻し、麻布を織りあげることができました。

その過程は、かつての麻問屋舟岡さん宅に残っていた
昭和30年代の「いざり機」を映した8ミリフィルムから始まります。

そして舟岡さん宅を取材し、
そこで語られた「もったいない」という言葉が凄く新鮮でした。
つまり麻に携わる女性たちが手間賃で仕事をするのではなく
手先を動かす物を造りだす喜びをもったいないと称したのです。

人にとって何が幸せか?
原点に返って考えたいという衝動にかれました。

この取材の過程はDVDに収録し希望者には頒布を検討しています。
購入を希望される方は桂書房までお問合せ下さい。

写真は舟岡さん宅に残っている、いざり機の福光麻布です。

麻布

となみ野探検ガイドマップ

カテゴリー:となみ野探検 新刊案内

となみ野探検ガイドマップがようやく刊行されました。
取材に費やした時間は約一年。
この取材で感じたのは、となみ野の奥深さです。
そして越中の根源は医王山にあり。
でした。
12月初旬までに各書店に配本されます。
となみ野探検ガイドマップ

安王丸

カテゴリー:歴史探訪

天保8年、富山城内から古碑が発掘された。
この古碑には中央に『安王丸』右上に宝■元年と記しその左に3月18日と記してある。
この安王丸とは室町時代、鎌倉公方・足利持氏の子で
持氏は幕府と争い吉元(1442)年4月16日に結城城は落城。
兄春王丸とともに安王丸も捕らえられ、京都へ護送される途中、垂井の金蓮寺で斬首されたとされる。
安王丸11歳。墓は垂井の金蓮寺にあるという。
富山前田藩作事奉行・高沢昌忠はこの古碑を考証し、
宝■元年は宝徳元年(1449)であり足利氏由来の墓石であるとして
藩主の許可を得て大法寺に発掘の由来を記した笠石台石を設えて大法寺墓所に安置した。
後に石造物の研究家、京田良志氏がこの墓石を鑑定し、時代は更に遡り年号は貞和2年(1346)であるとした。
今年に入って富山城三ノ丸が発掘され来年も更に発掘が継続されるという。
富山は先の大戦で全壊し多くの史料も失われたが少しずつ歴史が見えてきている。
添付した写真は戦災で焼ける前の大法寺参道の景観である。

大法寺参道S