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地球のステージ710特別篇

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明日の地球のために活動する地球のステージ710特別篇が
南砺市井波総合文化センターで7月10日開催されます。
詳細はチラシをご覧ください。

2016年_地球のステージチラシ表

安田善次郎(2)

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安田善次郎は幕末の安政5年、20歳で奉公人として江戸に出た。
いくつか奉公先で才能を開花させ、慶応2年26歳で両替商・安田商店を日本橋小舟町に開いた。

善次郎は幼少は岩次郎と称し、若い頃は富山では守田屋の岩公と呼ばれていた。
母親や太田千代といい富山市水橋の出であった。
善次郎は色白で福々しい風格であったという。
人とは争わず、寺子屋にあっては幼い頃から能書で、
手紙を頼まれればスラスラと達筆でしたためた。
明治末年頃、岩次郎の幼なじみが語ったところによれば、
岩次郎は10代の頃にはすでに商才に長けていた。
そして越中の都市間の物品の物価相場を良く調べていた。
具体的な逸話として、岩次郎は友人と干し柿を魚津方面に売りに行ったことがあった。
その際、岩次郎は安価な魚津漆器を見つけた。
これを富山で売れば駄賃が稼げると、これをしこたま買い込んで富山に帰った。
後に友人が聞いたところでは高く販売でき利ザヤを稼げたという。
魚津漆器は魚津腕とも呼ばれ一時期、魚津町の一大産業にまで発展した。
岩次郎は漆器の相場を良く理解していた。
このように、岩次郎は江戸に行く前から商業を営んでいた。
当時富山藩士が内職をするのは当たり前の事で、富山売薬の丸薬を丸めるのは下級武士の仕事だったという。
その後まもなく岩次郎は江戸に旅立った。

安田善次郎

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富山県は実業家を多く産み出した県だ。
富山市からは安田善次郎という偉大な実業家を産み出した。
善次郎は富山藩下級武士、安田善悦の子としてうまれる。
生まれた所は、富山市愛宕町で現在は安田記念公園となっている。
父親は下級武士、足軽とされているが、富山藩は実に貧乏であった。
例えば七軒町の武士達は神通川の漁で生計を立てていた。
善次郎の父親は畑作者で暮らしていたが、当時そこは鍋屋小路と呼ばれていた。
昔は太夫町とも沼の高とも呼ばれた貧乏人ばかりいた所であった。
善次郎が東京に出た後、その家は他人に渡っていた。
当時の面影は小路の角にある地蔵堂のみだが、当時は東向に格子戸の玄関を構える生家が残っていた。

大正7年頃、この鍋屋小路にでっぷりと太った紳士が夫人を同伴して訪ねてきた。
この界隈は、当時は「労働者街」で袢纏が街に似合っていた。
しかし紳士の身なりは、街の人々には似つかわしくなく人々は奇異の目で見ていた。
老夫婦は懐かしそうに辺りを見回しながらその家の前に立って何かを囁いていたという。
翌日、再び現れた老夫婦は持ち主の家を訪ねた。
価格交渉が始まったが不成立に終わった。
その差額はわずかに100円程。
後に、老夫婦は善次郎夫妻で目的が生家の永久保存であったという。
その経緯が当時の新聞記事となっている。

新兵の入営(その2)

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富山城二ノ丸から富山大橋。
かつての新大橋、別称「連隊橋」に向かう通りを当時は兵営道路と呼びました。
連隊橋の手前には茶屋があり、上新川郡長が入営者に寄贈品を渡していました。
神通川に架かるこの橋を渡ると婦負郡です。
今の富山大学は当時の陸軍69連隊の営舎。
人々や旗の列は練兵場を横切って裏門に続いていました。
当時の新兵は北側の表門ではなく、南側の裏門から入営したようです。
兵舎は周囲を土塁で囲んでありました。
添付写真をごらん下さい。
裏門の土塀の上には曹長が立ち、見送り人と新兵をより分けていた。
記事には
「入営者の嫁さんらしいマンテルの下から友仙腰巻を見せた十八九の女が曹長の後から高い土塀に駆け登ろうとする」と緻密な描写。
どうもこの女性は入営者の妻らしい。
そうだよね。
旦那様とはもう二度と会えないかも。

記者が表門に廻るとここでは人々は挨拶を交わし
『兄さまが無事で入営されましておめでとうございます』
『息子は喜んで夕べは一目も寝ませなんだ』
と自慢話が聞こえたとか。陸軍歩兵69連隊

新兵の入営

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今は消えた、かつての富山を探ろうと
古い頃の新聞記事を読んでいます。

この記事は明治末の富山日報の記事。

「昨朝七時富山連隊へ入営の新兵を見送りに行く。
夜来の時雨は晴れたが凩(こがらし)は中々に寒い。
社を出ると富山館方向から、連隊に行く腕社(人力車)が十四五台も続いてきた。
その大部分が壮丁(入営する成年男子)で頭髪をクリクリに刈り込んで何れも落ち付かぬ顔をしている。
その一行の先を縞毛布を着た小さなお爺が紫メレンス二幅の大きな旗を担いで重そうに走っている。
風がしたんで重いに違いない。
旗には東岩瀬町と記してあった。」

(以下略)

凄い! さすが東岩瀬町。

富山館は富山城鉄門前の2ノ丸にあった旅館。
富山69連隊に入営する若者を歓送迎しようと
昨夜は旅館で激励。
そして人力車を連ねたのは
当時の東岩瀬町が北前船で栄えていた証ですね。

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